日毎の糧 615日(木)
エゼキエル書3:12-27より
七日の後、主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。わたしが悪人に向かって『お前は必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたがその悪人に警告して、悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、・・彼の死の責任をあなたに問う。しかし、警告したのに・・
・・・まことに彼らは反逆の家だ。しかし、わたしが語りかけるとき、あなたの口を開く。
・・
いよいよエゼキエルの仕事が始まります。命をかけてその地で、イスラエルの民と共に暮らすことです。エゼキエルの見た主の栄光と、主の霊が、エゼキエルを自分の足で立たせます。隣人を愛するとは、神が愛しておられる人を、神ゆえに尊ぶことです。わたしにとっては他人であっても、神は、大切だとわたしに主張なさいます。
隣人と共に生きるとは、命懸けのしんどいことです。
エゼキエル書3:12-27より
七日の後、主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。わたしが悪人に向かって『お前は必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたがその悪人に警告して、悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、・・彼の死の責任をあなたに問う。しかし、警告したのに・・
・・・まことに彼らは反逆の家だ。しかし、わたしが語りかけるとき、あなたの口を開く。
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いよいよエゼキエルの仕事が始まります。命をかけてその地で、イスラエルの民と共に暮らすことです。エゼキエルの見た主の栄光と、主の霊が、エゼキエルを自分の足で立たせます。隣人を愛するとは、神が愛しておられる人を、神ゆえに尊ぶことです。わたしにとっては他人であっても、神は、大切だとわたしに主張なさいます。
隣人と共に生きるとは、命懸けのしんどいことです。