日毎の糧 11月2日(木)
ローマの信徒への手紙2:17-29より
・・あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。・・教師であると自負しています。それならば、他人に教えながら、自分には教えないのですか。・・あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですか。・・文字ではなく心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉は人からではなく、神からくるのです。
久美愛教会のホームページにようこそ!のぞきに来てください。
"ととのう"暮らしは、心に施された割礼、つまり、聖霊の風に吹かれていることです。自分には誇るものはないけれど、律法を所有している。これはなんとありがたいことです。わたしたちの一生涯のなすべきことを、わきまえ知らせて、生かして活かして、くださる。
自分中心でなく、共に生きるために、律法は、わたしに与えられました。他人を裁く基準ではなく、わたしが生かされるためです。神からくる誉です。
良き日々をお過ごしください。
ローマの信徒への手紙2:17-29より
・・あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。・・教師であると自負しています。それならば、他人に教えながら、自分には教えないのですか。・・あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですか。・・文字ではなく心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉は人からではなく、神からくるのです。
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"ととのう"暮らしは、心に施された割礼、つまり、聖霊の風に吹かれていることです。自分には誇るものはないけれど、律法を所有している。これはなんとありがたいことです。わたしたちの一生涯のなすべきことを、わきまえ知らせて、生かして活かして、くださる。
自分中心でなく、共に生きるために、律法は、わたしに与えられました。他人を裁く基準ではなく、わたしが生かされるためです。神からくる誉です。
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