日毎の糧 11月20(月)
ローマの信徒への手紙
9:1-13より
・・「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。・・・リベカがイサクによって身籠った場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられましたました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
「わたしはヤコブを愛し、
エソウを憎んだ」
衝撃的な言葉です。
憎むと言われるのは退けて他方を選ばれる、ということでしょう。
神の基準は、人間社会の基準とは違います。実力主義ではない、弱肉強食でもない。
神は、どちらかというと、弱っちいもの、無に等しいものに目を留められるように感じます。
自力で人生を開拓して行けるであろうエソウよりも、身体の小さいヤコブを、愛しなさる。
不思議です。神が誰を愛するか、わたしたちは、神にリクエストすることはできない。
わたしを選んでくださいとは、誰も言えないのです。愛は神秘です。
そして神のご計画は、確かです。
静かに、心を合わせて行きたいと思います。
ローマの信徒への手紙
9:1-13より
・・「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。・・・リベカがイサクによって身籠った場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられましたました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
「わたしはヤコブを愛し、
エソウを憎んだ」
衝撃的な言葉です。
憎むと言われるのは退けて他方を選ばれる、ということでしょう。
神の基準は、人間社会の基準とは違います。実力主義ではない、弱肉強食でもない。
神は、どちらかというと、弱っちいもの、無に等しいものに目を留められるように感じます。
自力で人生を開拓して行けるであろうエソウよりも、身体の小さいヤコブを、愛しなさる。
不思議です。神が誰を愛するか、わたしたちは、神にリクエストすることはできない。
わたしを選んでくださいとは、誰も言えないのです。愛は神秘です。
そして神のご計画は、確かです。
静かに、心を合わせて行きたいと思います。