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2月27日(火)

マルコによる福音書9章14-29節より

・・「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子を襲うと、所構わず引き倒すのです。・・・お弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと不信仰な時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れて来なさい。」・・父親は言った。「・・・もしできますなら、私どもを憐んでお助けください。」「『もしできるなら』と言うのか。信じる者には何でもできる」
「信じます。信仰のない私をお助けください。」


 今週からマルコ福音書です。

 子供の癒しを願う人と主イエスの、緊迫した対話です。
 子供の病に苦しみ果てた父は、助けを求めながら、諦めかけているのです。
 主イエスも、いつまで、私はあなたがたと共にいられるのだろうか、と苦しむ人々を残し、弟子たちに託したいのに、時代の不信仰は、なんとも癒し難い。


 まさに、主イエスの心配は、現代の私たちです。」
希望を失ってはなりません。苦しみ抜いているからこそ、希望が際立ち、無力を自覚するからこそ、信仰が呼び覚まされるのです。

信仰のない私を憐んでください。

この言葉が、引き出されます。

主イエスの歩みは、十字架を目指して、進んでいきます。
そして主は、地上に残る私たちを、救うために、祈り続けてくださいます。